映画「セッション」の感想
〜熱い!
熱かった。ひとこと感動。
あんなふうに熱中して、熱量を懸けられるものって自分にあるかなぁ…
というか、普通の人はやっぱりあのスパルタについていけんくて挫折するよ。
クライマックス。あの教授は鬼畜でファッキン野郎だったけど、それに負けずに挑んでいくアンドリュー(だっけ?)は強く、感動しました。それどころか最後の最後は彼の鬼気迫るプレイに圧倒されて、なんかもう復讐とかファック野郎とかそんな次元じゃなく、高次元なコミュニケーションになっていくところがすごくよかった。
言葉でなく。心を通わせる様子に震えました。(自分の語彙力の無さよ涙)
…それで、思ったこと。
何かを達成したり、あるレベルに到達する為に努力していることがあったとして、そこに障害が現れた場合。今回のスパルタ教師のように自分の求めるものの為に人格まで否定するようなハラスメント発言etcで一人の人間をうつ病、果ては自殺にまで追い込んでしまうような脅威的存在が自分の前に現れたら…
そこまでじゃなくても、例えばちょい役で登場する良い感じのガールフレンドのような存在も。
今までの自分を振り返ってみて、結局それらを乗り越えてまで達成したいと思えるものって自分には無かったかも知れないなと思いました。
だから壁にぶつかった時、悩んだ末に逃げるという道を選んできた気がする。逃げるというとネガティヴな響きだけど、その選択が間違いだったとは思わない。ただ結局そこまでの熱意が無かったということかもなと。
そう考えると、この映画の主人公のように、車に轢かれて血まみれになっても、大勢の前で屈辱的状況に立たされても執着し、立ち向かっていくエネルギーを懸けられるものがあることは非常に貴重だと思う。
普通はそこまでのものに出会えず人生を終えていく人の方が多いんだろうな。
一生自分探しっていう。
だからこそ超人なんだよね。
あ、もし子どもを持てばまた違うのかな。命を懸けられるくらいのもの=子どもに成るのかも知れない。
別にそれを持っていなくても良いとか悪いとかじゃないんだけど、持っている人はものすごい濃度で日々を送っているに違いない。
そんな人たちを、やはり少し羨ましいと思うし、自分なりにそんなものを見つけたいと思った。
私は天才や鬼才にはなれないただの一般人だけど、やっぱりストイックに生きてる人に憧れます。
だけどボーイフレンドとピザを食べる方に流れちゃうんだよな。どうしても人はラクな方に流れるから。
たまには立ち止まって自分が何処に進もうとしているのかと考えること。今の自分にはとても強いメッセージ性を持って響く作品でした。